hazelnutcoffee’s diary

妊娠、出産、子育てで感じたこと、発見したことを綴っていきます。

エルゴベビーアダプトは新生児から使える?

妊娠8か月頃に、出産後に使う抱っこ紐を買うことを検討し始めたが、抱っこ紐と呼ばれるもの以外に「スリング」と呼ばれる布をたすき掛けのようにして掛けて赤ちゃんを抱っこするものもあってどれを買ったらいいのかかなり迷った。

我が家の場合

1.新生児から使えるもの

2.夫も兼用して使えるもの

3.肩・腰への負担がなるべく少ないもの

4.長期間使えるもの

という条件で探し、レビューの評価が高いエルゴビーアダプトを選んだ。色も様々あって悩んだのだが、洗濯しても色落ちしても目立たないようにとグレイに決定。紺色などの色は洗濯すると次第に色落ちするらしく、色染めし直す人もいるようだ。

 

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現在、楽天で一番安くて1万7千円ほど。だいぶ値段が下がってきたようで。

 

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アダプトの対象年齢は、0か月から48か月つまり4歳まで 

                          体重は3.2kgから20kgまで

 

下の写真のように、身長に合わせて、ウエスト部分にあるマジックテープを調節することで成長に合わせて長期間使えるということらしい。

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さっそく最初に使ったのは、生まれてから10日目。海外にいるということもあって、出産後たった2日で退院、そのわずか1週間後に病院に検査に行かなければならなかったのだ。約3kgグラムぐらいで生まれた息子もそのときは「生理的体重の減少」と言われるように体重が減り、その時は、2.9kg50cmぐらい。

 息子の身長50cmだったので赤ライン(50.8cmから61cmまで)に合わせる。思った以上にマジックテープの粘着力が強くしっかりしているので剥がれる心配がないので安心。 

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エルゴベビーアダプトは、インサートなしで新生児から使えるのを売りにしていると思うのだが、出産後10日目の息子を入れてみると…

 

すっぽり抱っこ紐の中に埋もれて、足も短いので両足が出せない‼️

 

…抱っこ紐なしで両手で病院まで抱えていくわけにもいかず……どうしよう…と考えたあげく……

 

抱っこ紐の中に厚手のタオルを二枚丸めていれて、おくるみで包んだ息子を入れることに………

 

すると、なんとか息子の頭がネックサポートを折り込んだ位置に。

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しかし、両足を出さずに、くるんで入れているので、歩くと抱っこ紐の中で息子が左右にぐらつくし、息子もグニャグニャとときどき動くので両手で左右をしっかり押さえなければならない。

 

身体の大きい子なら新生児から使えるのかもしれないけれど、うちの子は正しい方法では新生児からは使えず……

 

結局、正しい方法で使えるようになったのは、身長57cm体重5kgほどになった2カ月過ぎたくらいから。

 

ただ抱っこ紐の素晴らしいところは、周りの物に興味を示す前の3カ月くらいまでだと、どんなに泣いていても抱っこ紐に入れさえすれば、3分以内には目を閉じてねてしまっていた点だ。夜寝る前などグズって本当に寝ないときは、抱っこ紐を活用することも。ただ、抱っこ紐から取り出すときに失敗すれば、また大泣きしてしまうのだが……

 

 それと良かったと思ったのは、下の写真のように余った紐を折りたたんでゴムでとめることができる点。旦那が使うと紐はあまり余らず垂れ下がらないのだが、身体が小さめの私はけっこう紐が余るので助かった。

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なんと!2016年に登場したエルゴベビーアダプトが進化した「アダプトクールエア」が売り出されている。ポケットも前より大きくなっていて使いやすそうだし、メッシュ素材が使われているため通気性が良くなったようだ。値段は高いけれど、買いたかった!!

 

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つわり地獄との戦い

 

百聞は一見に如かず。人は一度経験してみないとわからないものである。

 

よくドラマなんかで、突然の吐き気を感じ流し台にかけこむ姿が、妊娠に初めて気づくシーンとしてよく使われ、長いつわりで苦しむような妊婦は登場することはない。だから、結婚する前までは、妊娠したら軽い吐きづわりがあって、そのあとは街中で見かけるような妊婦に自分もなれるのだろうと漠然と思っていた。しかし、妊娠出産とは、ドラマで描かれるようなものとはかけ離れている。もし、自分が妊娠に気づかないであのつわりが始まったとしたら、自分は明日明後日でも死ぬような病気にでもなったのではないかと疑って病院に行ったはずだ。

 

妊娠して出産にまでたどりつくまでには、みんな人に言わないだけでそれぞれ苦労がある。そして子育てが始まると、辛かったつわりも陣痛の痛みも跡形もなく忘れてしまうのであるから、人間とはよくできたものである。

 

子供が欲しいと望んでから、なかなか子供が授からず、毎月決まってくる月経に今回もだめだったか...と何度落ち込んだだろう。月経が遅れることがあると、嬉しくて旦那に「妊娠したかもしれない!」と期待させ、そして落胆させた。ある時、月経が3週間ほど遅れ、念願の妊娠が分かったが、しばらくすると未知のつわり地獄が始まった。つわりがこんなにつらいものだとは、今まで誰が教えてくれただろう。

 

私の母は三人子供を産んだが、つわりがなかったらしい。仕事を続けている人は、仕事に対する責任感と緊張感からかつわりが軽い人もいるらしいが、私は仕事を辞めていたため、毎日つわりと直面する日々が続いた。

 

つわりとは、人によっていろいろ違うものだが、私の場合、妊娠8週目あたりから身体のだるさと熱っぽさがはじまり、毎日風邪をひいて高熱を出しているかのように身体が重く、思うように動けない日々が始まった。吐き気がするので今までのように思うように食べられず、かろうじて食べている間は、吐き気が収まるものの食べた後はお腹が張って気持ち悪くなり、食後に吐くことが多かった。

 

今日は、食べれたものでも、次の日には食べられなくなったり、偏食もかなり激しくなった。そして夜は気持ち悪さから寝付けず、スイカやイチゴをかじって気分を紛らわした。さらに、匂いに突然と敏感になり、香水や芳香剤などの匂いを嗅ぐと吐き気が起こるようになった。今まで使っていたシャンプー、食器用洗剤、衣類用の洗剤が使えなくなり、匂いがあまりないものに変えざる負えなかった。一歩外にでればさまざまな匂いであふれているため、マスクをして外出しなければならなかった。

 

このような私の変化は旦那には、かなりワガママなようにうつっていたようである。つわりが激しく続いている間「ワガママ言うな!」と何度怒られただろう。つわりとは、経験したその本人しか分からない。この苦しさをどう言葉で表現したとしても、人には分かってもらえないことを私は痛感した。

 

そして妊娠して4か月くらいするとだいぶつわりも落ち着いたが、においつわりだけは、出産まで続いた。また、今まで頭痛など経験したことがなかったのに雨が降ったりすると激しい頭痛がするようになり、これも厄介であった。

 

つわりがひどいときは、立っているとふらふらとめまいがするので、バスや電車を利用する度に、「お願いだから座らしてくれえ…」と神にもすがるようなような気持ちになった。しかし、席を譲ってくださいなどど言えず、つり革につかまってひたすら我慢するしかなかった。

妊活中の負の感情について

子供が欲しいと望む前は、簡単に妊娠できるものだと思っていたし、妊娠検査薬で陽性反応がでれば、無事に出産まで辿りつけるものだと思っていた。
しかし、子供を望んで妊娠するまでの3年の間に、妊活しているひと、不妊治療をしているひと、流産を経験したひとのブログを渡り歩いて読んで、いかに自分が無知であるかを知った。妊娠も出産も、とても有難いことなのだ。
しかし、結婚して子供が欲しいと望んでからは、久しぶりに会う知り合いに「お子さんはまだですか?」と聞かれるだけで、なんて失礼なことを聞くのだろうと怒りを感じたり、私より後に結婚した友人から妊娠報告されると嫉妬心が湧いてきたり、子供の写真入りの年賀状が送られてきたりすると、前のように心から喜んで受けとれなくなったりした。また、よく知らない芸能人の妊娠を知ったときでさえ、先を越されたような気持ちになり、落ち込むこともあった。
あの時、私は、他人の幸せを心から喜べない自分を再発見し、自分のなかに隠されていた毒のようなものを感じた。こういう感情を抱くのは、私だけだろうか……と、ふとネットで検索するとけっこう同じような状況の人がいる。あのときは、同じような感情を持つ妊活中の人のブログを頻繁にたずねて共感し、このような感情をもつのは私だけではないのだと安堵した。
しかし、なかなか授からないと嘆いていた感傷的な感じのブログの主も、妊娠してしまえば、突然と幸せモードに入って、お腹の赤ちゃんのエコー写真を載せたり、産まれてくるだろう子供に名前をつけて呼んだり、もはや共感して読めるものではなくなる。人とは、自分が幸せだと感じでいなければ、他人の幸せを共感して喜べるような心の余裕もないし、相手が悪気もなくいった妊娠報告も幸せの押し売りのように感じてしまうものだ。